2013年9月から3回シリーズで開催してきたリバイバル教育シリーズ「般若心経」も今回で最終回を迎えました。
私たちが生きている今の時代は、歴史の変革期に直面しているとHITOTSU学(観術)では規定しています。
それではどういった変化があるのでしょうか。精神文明や心の時代に移り変わっていると、よく耳にするかもしれませんが、それでは「心」とはそもそも一体何なのでしょうか。そして、歴史の変革は何によってもたらされるものなのでしょうか。
現代人は、自分の身体の大部分はコントロールできますが、自分の5感覚脳から生み出された考え感情は自由自在にコントロールできません。もし、自由自在にコントロールでき、どんな時でも今ここスッキリ、ワクワクな心で、希望に満ち溢れ、人に対する思いやりや気配りを持っていることを死ぬまでその状態で生きられるならば、どんなに幸せなことでしょうか。
しかし、考え感情は自分の思い通りにならないことが多いのです。逆に自分の考え感情に支配されて心が病み、人とわかりあえずに協力関係を築くことが困難になっているのです。特に現代社会は複雑で情報が多すぎる時代なのです。18世紀頃の江戸時代の人間が一生の間で得られる情報量はニューズウイーク一冊に値するものだといわれています。情報知識が多くなりすぎてしまえば、相手を理解しようという心よりも相手を審判・判断することに忙しくなってしまうのです。
鍵となるのは、「心とは何なのか?」を明確にすることです。そして、歴史の変革をもたらすのはその時代の常識や固定観念が破壊されることです。
仏教の究極のエッセンスが凝縮されている心のバイブルといわれる般若心経は「心とは何なのか?」に言及し、歴史の変革をもたらすその時代の常識や固定観念を大きく破壊する全く新しい観点、ものの観方を案内しているのです。
人間は生まれた瞬間から不完全な5感覚脳の器に固定されて、色・受・想・行・識の五蘊を繰り返し生き続けています。そして、自分の知っている世界が広がっていき、固定観念(因果論・決定論)に縛られてしまうのです。
多様な問題の根本原因として、判断基準の5つの問題があります。
1、皆持っている
2、皆バラバラ
3、同じにしても問題
4、皆不完全
5、無意識で自分が正しい
不完全な5感覚脳の認識に固定されたまま、不完全な判断基準が生産され続け、人と人が分かりあえず協力関係が築けないのです。すなわち、生まれた時から周囲の環境から入ってくる情報データや知識によって、知らず知らずのうちに作られた判断基準なのです。
自分の意志とは関係なしに作られた判断基準によって、条件反射的に生きてしまっている人間は本来人間のあるべき姿ではありません。人間はプログラミング通り動くコンピュータではありませんし、本来はクリエイティブな存在であり、無限の可能性を持っている存在です。
しかし、機械的・動物的な条件反射で生きてきた現代人は自ら判断するということは難しくなっているのです。自由選択という自分の意志を育てることができませんでした。これは人間の尊厳に関わる大きな宿命的課題なのです。この宿命的課題に対して般若心経では解答を出しているのです。
次に、第1回目と第2回目の内容をポイントで振り返りました。
HITOTSU学(観術)からみて、一番重要なポイントは、「五蘊(色・受・想・行・識)皆空 度一切苦厄」のイメージと意味を理解することです。
五蘊とは、「人間の5つ(色・受・想・行・識)の繰り返し」=「宇宙の構成要素」であり、その五蘊が全て実在せず、空、即ちHITOTSUしかないことを観たことであらゆる悩み、問題、限界、危機から完全に解放された大自由の心そのもの、絶対尊厳そのものの自分になるのです。
つまり、人間は生まれてから死ぬまで五感覚の認識の器に固定され生きています。その自分自身と自分を取り巻く宇宙自然全てのイメージが浮かび、名前をつけ、行動をして、知識経験を蓄え、固定観念が生まれることなどのすべての現象は、錯覚の世界に生きていることに目覚めた時には、真実に実在するのは「空」しかないと釈迦は断言しているのです
そして、HITOTSUしかないことを悟り知ることで判断基準を根こそぎ取ってZero化することで、裏切らない人間関係を構築できるのです。
また、自分の考え感情も自由自在にコントロールでき、今ここ尊厳に溢れ平和で愛に満ちて生きることのできる智慧が「五蘊皆空」の世界でもあります。
しかし、釈迦が伝えたかった人間の固定観念を突破する「空の観点」が、2500年経った今でも未だに誰もが共有し、理解できていない限界があります。HITOTSU学(観術)は、この限界を超えて、論理とイメージで科学的に誰もが共有でき、理解できる道具なのです。
三科といわれる五蘊・十二処・十八界、十二縁起・四聖諦・八正道などの詳しい内容をご覧になりたい方は、第2回目の開催レポートをご覧ください。
今回は、般若心経の終盤をHITOTSU学(観術)の解析をお伝えしました。
論理的に説いていた前半部と違い、終盤はマントラで終わっています。四苦八苦から解放され、空そのもの、絶対尊厳そのものの自分自身となり、比類なき完全な悟りの境地に達してしまった歓喜の様を表しています。「羯諦(往く)」とは、四苦八苦の現実から彼岸の悟りの世界へと到達することを表しています。
釈迦が悟りを得た2500年が経った今の時代では、悟りは一部分の人だけが到達できる神秘的な体験の世界ではありません。今までは、脳ではイメージ不可能な世界だったため、空の世界、即ち真実「1」の世界を理解、共有共感が難しかったのです。誰もが理解、納得し、日常生活に応用、活用できる客観性を伴った真実「1」を共有できるようになったのがHITOTSU学(観術)です。これからは、空を悟り知る時代から、空を活用する時代になのです。もはや「悟り」は目指すゴールではなく、「スタート」なのです。
講義後の質疑応答は短い時間でしたが、会場から多くの手があがり、率直な質問がありました。
最後に、HITOTSU学創始者であるNoh JesuがなぜJAPAN MISSION、JAPAN DREAMを語っているのか、韓国人でありながら18年間一貫して日本が世界の希望なのだと語っているのか、彼の想いを伝えさせていただきました。
そして、今年12月15日には人間の無限の可能性、尊厳溢れる生き方を宣言する「尊厳宣言」を福岡で3000人が集まり、日本全体へ向けて発信いたします。ぜひみなさまと一緒に歴史のターニングポイントとなる12月15日を共有いたしましょう!
〈Dream和Project ホームページ :http://dreamwa.com/ 〉
教育思想シリーズ「般若心経」は、今回をもちまして終了です。ご来場いただいたみなさま、本当にありがとうございました。次回は、HITOTSU学創始者のNoh Jesu特別講座が12月8日に開催されます。どうぞお楽しみに!