2005年からスタートしましたHITOTSU学公開講座は、今年で晴れて10年目を迎えました。ここまで続けてこられたのも皆様の応援のおかげです。心より感謝いたします。
2015年のHITOTSU学公開講座、第103回となる今回は、新シリーズである「フランス革命と尊厳民主主義」がスタートいたしました。3回シリーズで皆様と共に深めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします。
これまで、十牛図、孫子の兵法、般若心経、和の産業化など様々なジャンルをとりあつかってきましたが、今回はHITOTSU学講座初となる、歴史と政治のジャンルになります。フランス革命は学校での暗記教育として知識だけを学んで終わってしまうのが一般的かもしれませんが、暗記知識よりも歴史の「ストーリー」を共有していく観点を持って、本講座の内容を共有していきました。
フランス革命と聞いて、日本人に馴染み深いのは、池田理代子氏による漫画作品「ベルサイユのばら」ではないでしょうか。漫画、アニメ、宝塚歌劇団による舞台化などで大ヒットした作品です。
他にもフランス革命と今現在の私たちに深い関連のあるものとして、革命期に提唱された長さの単位「メートル」や、国民主権、基本的人権の尊重、所有権の確立といったことがある事実をお伝えし、フランス革命が世界各国の憲法や近代市民社会に多大な影響を及ぼしていることを確認しました。
フランス革命の内容に入る前に、まず今までの学問とHITOTSU学の大きな違いを概論としてお伝えする中で、最初に次の質問から入っていきました。
「私たちが認識する物質、空気、地球、太陽、多様な生物体や自然界の中で、絶対に動かないで固定しているものはあるのか?」
一見、机などの物質は動かないように固定して見えますが、原子レベルで観察すれば動いています。同じように身体の細胞、心臓、血液も動いています。地球、太陽系、銀河系、宇宙空間も全部動いています。動いてるならば、なぜ動いてるのでしょうか。
全ての存在で止まっているものはひとつもないのなら、全ての存在を存在させて、動かしている「作動原理」があるのではないでしょうか。全ての存在を変化させる「作動原理」があると考えれば、わかりやすく理解することができるのです。
自然界に共通する「作動原理」を探求しているのが物理学や数学であり、直観で全て観たのが釈迦、老子といった聖人たちです。その「作動原理」の秘密を論理とイメージで誰でも理解出来るように、HITOTSUのイメージで全部を整理しているのがHITOTSU学です。
次に、改めてなぜ今、フランス革命を考える意味があるのかというテーマを共有しました。
今私たちが生きている日本社会や世界の構造を理解するには、近代市民革命の代表であるフランス革命を理解する必要があります。
フランス革命が起きた時代は、王や神といった絶対的な権威の元、生まれながらにして身分は固定されていました。またフランス国内の身分制度は聖職者、貴族、平民の身分に分かれ、聖職者と貴族は免税されるなど、一般民衆には自由や平等のある生き方はありませんでした。
そういった当時の大変厳しい時代背景の中で、多くの先人たちが命を落としながらも新しい社会像を具現化させようとした意志や涙を踏まえて、これからの日本が進むべき時代の全体像を共有しました。
それは、人権宣言、市民革命、フランス革命がもたらした自由民主主義の時代を超えて、日本発の尊厳革命、尊厳宣言、新・市民革命による「尊厳民主主義」の時代を多くの人々と共につくっていく方向性です。
フランス革命の時代を生きた人々は大勢いますが、その中でも需要な6人の人物を紹介させていただきました。history(歴史)という単語は、his story(彼の物語)という単語がひとつになったものとも言われます。歴史は、人間一人ひとりの想い、熱情などの人生の「ストーリー」が大きく結び合わされたものです。
ブルボン王朝第五代フランス国王。ルイ十六世。(1754~1793)
ルイ十六世は、死後に様々な評価がされますが、フランス革命という激動の時代に国王の座に就いてしまった立場になれば、どんな責任を負わなければいけなかったのでしょうか?
破綻寸前の財政を立て直そうとするなど、フランスの変革に力を注いでいましたが、失敗に終わり、在任中の1789年にフランス革命が起き、1792年に王権が停止され、翌年ギロチン(断頭台)によって処刑されました。
ルイ十六世王妃マリーアントワネット。(1755~1793)
14歳でルイ十六世の王妃となってから、波乱の生涯を歩むことになります。彼女や王政に対して悪意と憎悪から多くの誤解もありましたが、最後まで毅然とした態度を崩しませんでした。
フランス革命の最中、怒りに満ち溢れ暴徒となった民衆が自らの宮殿に雪崩れ込んでくる時、王妃として、母親として、どんな想いだったでしょう。そんな窮地の中でも、民衆の前に冷静で凛とした姿を見せた事で、民衆の怒りを一時的に収めた事もありました。しかし、フランス国内からの逃亡の失敗により、国民からも見離され幽閉されてしまいます。最後は白髪になるくらい変わり果て、ギロチンで処刑されました。
ジャン・ジャンク・ルソー。(1712~1778)
フランス革命の前、それまでの絶対的権威を批判し、不平等な身分制の中で悲惨な暮らしにあった民衆たちの意識を目覚めさせていく「啓蒙思想」を拡げた、フランス革命の思想的支柱として代表的な人物です。後に革命の福音書と呼ばれる、『社会契約論』『人間不平等起源論』などを記しました。
マクシリミアン・ロベスピエール。(1758~1794)
フランス革命期の政治家。貧しい人々を擁護する人物という見方がある一方で、代表的な革命指導家であり、恐怖政治を断行した人物でもあります。
「徳なくしては恐怖は忌まわしく、恐怖なくしては徳は無力である。」との言葉を残し、1793年から恐怖政治(Terreur:テルール、テロの語源)を行い、革命に反したとの名目で数千人をギロチン(断頭台)に送り込み、革命直後の危機を束ねていきました。
しかし、1794年にはテルミドールのクーデターにより捕えられ、彼自身もギロチンに掛けられてしまいました。
ナポレオン・ボナパルト。(1769~1821)
革命直後のフランス国内の混乱を収拾した「英雄」であり、軍事独裁政権を樹立し、革命思想を周辺国に拡げるという大義の下、ヨーロッパ全体を巻き込んだ戦争に突入し、周辺諸国を圧倒しますが、最終的には全てを喪失し、大西洋の絶海の孤島で生涯を終えます。
マイアー・アムシェル・ロートシルト。(1744~1812)
歴史の表舞台にあまり出てこないですが、ヨーロッパ随一の金融財閥、ロートシルト家の創始者・銀行家です。
これらを踏まえて、フランス革命の進展の概要を二段階で整理しました。
革命一段階とは、元々の絶対王政の政治体制を表とすれば、市民革命により市民の政治参加が裏づけされて、立憲君主国として国王と国民が表裏一体となったフランス革命の第一段階にあたります。
そして、第二段階に移行した時、王のギロチンによる処刑で政治体制の安定的秩序(コスモス)が破壊、喪失されてしまい、フランス全体が混沌(カオス)に陥り、恐怖政治が現れてきました。
この後、フランスの政治体制がなかなか安定しなかった中、独裁的権力によって安定させていったのがナポレオンの軍事独裁政権でした。
そして、フランス革命はなぜ起きたのかという歴史的大事件の背景を、教育、経済、政治、文化の四つの観点で整理していきました。
《教育》
フランス革命の思想哲学の出発は、西洋のルネッサンスに行き着きます
神の概念により抑圧されていた人間の自由な思考が目覚めていき、意識の開拓が始まり、人間理性が開花されました。すでにフランスではデカルトやニュートンといった科学的理性、合理的理性など、ルネッサンスから生まれた啓蒙思想、近代革命思想が溢れていました。その中でも、『社会契約論』『人間不平等起源論』を記したジャン・ジャック・ルソーの著書はロベスピエールなど革命政治家に多大な影響を与えています。
《経済》
フランス革命前、火山噴火による気候的変動で大凶作に陥り、度重なる戦争の出費などで、国家予算の9倍もの借金を抱えていたといわれています。一般民衆は重い課税と身分差別で困窮した生活を送らざるをえず、さらに産業革命をおこし工業力を高めたイギリスとの自由貿易によって、フランス国内の産業が大打撃を受けてしまっていたのです。様々な要因が重なり、民衆の不満が鬱積し、革命が起こるきっかけとなりました。
《政治》
イギリスとの戦争に敗北しフランスのプライドに大きな傷が入り、またアメリカ独立戦争に支援したことで、財政難は決定的となりました。加えて封建的身分制度という上部構造が下部構造を支配するピラミッド構造が、隷従の立場にあった第三身分の民衆たちの革命を願う意志につながっていきました。
《文化》
識字率が低かった当時ですが、革命の中心地パリはカフェが世界一多かったといわれています。そのようなカフェが人との出会いを生み、交流し、議論を交わす場として機能していきました。また新聞や小冊子(パンフレット)が爆発的に増え、メディアの進化が起きました。
個人が発信するメディアが増え、革命家たちの意志が綴られたパンフレットなどの小冊子が爆発的に発行されると共に、街頭でも直接人の心に訴えかける演説文化が革命への熱気を高めていきました。
フランス革命の背景と重ね合わせながら、21世紀の今、日本発の尊厳革命はどのように起こるのかという概要的な整理を共有し、第1回目の講座は終了しました。
会の最後には、HITOTSU学創始者Nohjesu氏から、ポエム「愛、勇気そのもののあなた、英雄の時代を切り拓け」が送られました。
第2回目は、2月15日(日)の開催です。また会場にてお会いできることを楽しみにしております。
今回もご参加いただきましてありがとうございました。