第29回HITOTSU学公開講座(2008.5.18)

しあわせの真髄HITOTSU学の観点から見た老子・道徳経の世界:第8回

 

HITOTSU学講座での老子道徳経シリーズ。後半に入りました。
今回の13章から15章は、老子が「道」と出会って、どのようにそのイメージを用いて生きていたのかを感じることができる内容でした。
老子が生きていた時代は、国王が全権力を持っている戦国時代。国王の一存で命すらも簡単に奪われてしまうその時代にあって、一人一人がどう知恵を持って生きるのか。無為を実践することがどのようなものだったのかという観点について学びが深まったのではないかと思います。

第13章は、寵辱驚くが若し。という一文から始まる内容。国王に気に入られては驚き、不必要とされてはまた驚く。道の実践者は普通であることの追求者でもあるというイメージがあります。そもそも、「この身体だけが自分」と思い込んでいることが全ての心配や不安の始まりであること。そして、何よりも自分自身の命を大切に想い天下と同じように尊いものだと考えることの必要性を老子は説いています。
HITOTSU学においても、個人のイメージが変わること。その本来の自分自身のアイデンティティから、人間の尊厳性を回復し、新しい生き方を提示していくことを目標としています。自分を失くしてしまった現代人への原点回帰のメッセージとも言えるのではないでしょうか?

第14章は、「道紀」の言葉で知られる章です。老子が観ていた「道」のイメージが語られています。第2章や第4章、第6章のイメージともつながって整理がされた方も多かったのではないでしょうか。
観ようとしても見えないものを観て、聴こうとしても聞こえないものを聴き、掴もうとしてもつかめないものを掴む。始まりもなく終わりもなく、どこまでも続いていている世界。物や存在ではない無状の状態。
全ての出発点である道の始まり「道紀」から、今のすべてを理解活用応用していく世界があることを示唆しています。
HITOTSU学が語っている次元上昇したHITOTSUのイメージに通じる第14章。この内容を通して、全く新しい観点があることを感じられた方も多かったようです。また、アドバンスセミナーにて次元上昇したHITOTSUのイメージを学ばれた方にとっては、その世界のイメージをさらに深めることができたという感想をいただきました。

難解な老子の世界が身近になっていくことに、HITOTSU学の価値を感じていただけたのではないかと思います。

第15章は、昔の聖人達がどのような生き方を実践していたのかを語っている内容でした。
全てを理解したうえで、彼らがとった行動とは、一見私たちから見るとおどおどしていたり、全てに畏れるかのようであり、とにかく必要以上に普通であろうと努めている姿です。
ですが、そこには、第13章にもつながるように、自分自身の命すらも脅かす時代の背景が感じられます。目立った行動をとることで、命に関わるという老子の時代には、あえて愚かに振舞うことで生き延びる道を選択するしかなかったともいえるのではないでしょうか。

老子が伝えることができなかった新しいイメージと、そのイメージを持って生きる生き方を実践することができるのは、今、この現代であるとHITOTSU学は考えています。

一人一人の個人が、人間の尊厳性と無限の可能性を確信しながら生きていけるそのサポートをしていけるHITOTSU学でありたいと思っています。

残り少ない回数となりましたが、新しい生き方と出会うHITOTSU学講座老子道徳経シリーズ、最後までよろしくお願いいたします。