第50回 HITOTSU学公開講座(2010.6.6)

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今回は、聖徳太子『十七条憲法』の世界シリーズの2回目。十七条憲法の第五条から第十二条を取り上げました。(当初2回目は五条から九条の予定でしたが、内容上、十二条までになりましたので、予めご了承ください)

まず、「HITOTSU学とは何なのか」を簡単にご紹介しました(内容につきましては過去の開催レポートをご参照ください)。次に、第一条から第四条までのポイントを振り返り、なぜ聖徳太子の十七条憲法を取り上げるのかをNohさんからお話がありました。
“いいとこ取り”というと聞こえは良くないかもしれませんが、Nohさん曰く、“いいとこ取り”の精神に、日本文化の素晴らしさをみることができると言います。それは真理を活用する精神であり、一言で言うなら「和」の精神です。十七条憲法の中には仏教、神道、儒教のいいとこ取りがされており、政治で「和」の体現を試みた人物が聖徳太子なのです。

第五条から第十二条の一般的な解析は以下の通りです。
第五条:
公正な裁判を行うことがリーダーの役割の役割です。「菩薩のリーダーシップ」=「不貪(ふとん)」の実践で、模範となるべきリーダーの姿を要求しています。
第六条:
リーダーの過ちすらも戒められる姿勢を要求しています。民が平和に幸せに暮らせる世の中の実現こそが、リーダーへの忠誠であることが語られています。
第七条:
重要な職務に就く人物は賢哲が望ましいと語っています。覚った人々による、慈悲と菩薩の心が溢れる国=「和」の実現について書かれています。
第八条:
精進の進めとして勤勉の奨励が述べられています。当時の豪族達の自己中心的な行動に対する戒めであり、「我」と「集団」の統合を目指した太子の想いが読み取れます。
第九条:
「和」の基礎は「信頼関係」であり、全ての基本です。平和な共同体を可能にするための中心軸としての「信」について述べられています。
第十条:
仏教の三毒である「貪(とん)・瞋(しん)・癡(ち)」の一つである「瞋」、すなわち自己中心の煩悩から生まれる「過度の怒り」の制御の必要性について語れています。
第十一条:
賄賂などの政治汚職が当たり前であった当時に、仏性を目覚めさせるために社会全体システム整備を目指している太子の理想像、つまり「和」の政治にいて言及されています。その具体案として冠位十二階制が制定されました。
第十二条:
徴税の禁止を通した全体を愛する菩薩のリーダーシップの実践による悟りについて書かれています。

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では、HITOTSU学の観点から、現代の日本の状況とつなげて解析するとどう解釈することができるのか、Nohさんよりお話がありました。
現代日本は、日本の良さを語れるリーダーシップが不在の状況です。Webアクセス数で1位をキープしてきたGoogleFacebookが抜いたことに象徴されるように、ただ情報知識が流れるだけではなく、今の時代は人と人とがつながるソーシャルネットワークの時代です。このような時代に求められるリーダーシップとは、西洋の思考方式に根付いたカリスマリーダーシップではなく、一人ひとりがリーダーとして立っていくグループリーダーシップです。それはまさに「和」の現実への適用です。
聖徳太子が示している「和」の世界を現実へと落としていく実践行動、それが必要な時が今なのではないでしょうか。脳と五感覚に依存した分離独立の意識では「和」を実現することはできません。魂とイメージ感覚を使うことを通して「和」を実現できるのです。この変化は、観点の次元上昇によって可能になる道です。
「和」の世界は、侍が気を感じる世界につながります。また日本の明治維新は、世界で唯一起きた集団革命です。その感覚、その経験がある日本だからこそ、「和」の世界をグループリーダーシップとして実現できるのです。それが、人間の良さを1番生かしている日本であり、本当の日本の姿であると、Nohさんからのメッセージでした。

さて、次回は残り第十七条までを取り上げます。また振り返りも行いますので、本シリーズ初参加の方もお気軽にご参加ください。みなさまと日本の精神「和」について共有できますことを楽しみにしております。ご来場いただきまして誠にありがとうございました。

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